<?xml version="1.0" encoding="UTF-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/">
	<channel>
		<title>AAツーショット</title>
		<link>http://kotti45.fruitblog.net</link>
		<description>AAツーショットのブログ</description>
		<dc:language>ja</dc:language>
		<dc:creator>kotti45</dc:creator>
		<dc:rights>Copyright(c) FruitBlog All Rights Reserved.</dc:rights>
		<dc:date>2011-04-23T11:50:00+09:00</dc:date>
		<image>
			<title>AAツーショット</title>
			<url>http://kotti45.fruitblog.net/img/default_logo.png</url>
			<link>http://kotti45.fruitblog.net</link>
			<description>AAツーショットのブログ</description>
		</image>
		<item>
			<title>姉貴のボールペン</title>
			<link>http://kotti45.fruitblog.net/?4db23dc20da3e</link>
			<description>
				<![CDATA[
昔、姉の部屋で机の上に有った妙に太いボールペン（ゴムで出来ていてケツが丸くなっていた）
を使おうとすると何か変な匂いがして鼻に当ててくんくん匂いをかいでいると、姉がものすごい剣幕でそれを取り上げた。
真っ赤になって慌てていたが､そのときは何で姉が慌てているのかわからなかった。
あれはま○この匂いに違いないと思う。 
よくツーショットダイヤルとかしていたからそのときのプレイの一つとして使っていたんだろうと今になって分かった。


				]]>
			</description>
			<dc:subject>未分類</dc:subject>
			<dc:creator>kotti45</dc:creator>
			<dc:date>2011-04-23T11:49:10+09:00</dc:date>
		</item>
		<item>
			<title>見知らぬ男が嫁と一緒に飯を食っている</title>
			<link>http://kotti45.fruitblog.net/?4ca95c34a88ce</link>
			<description>
				<![CDATA[
久しぶりに自宅に帰宅したら見知らぬ男が嫁と一緒に飯を食っている。
俺の居ない間に浮気相手を連れ込むとは、なんて図々しい。
男が誰なのか気にはなったが、腹が減っていたのでとりあえず俺も飯を食った。
3人で飯を食いながら気まずい空気に耐えかねたのか男が口を開いた。
「あの〜失礼ですが、どちら様でしょうか？」
間男の癖になんて図々しい。そう思っていると妻も口を開いた。
「あなたの知り合いじゃないの？」
どうやら酒に酔ってマンションの階を間違えてしまった。
ずうずうしいのは俺のほうだったようだ。



				]]>
			</description>
			<dc:subject>未分類</dc:subject>
			<dc:creator>kotti45</dc:creator>
			<dc:date>2010-10-07T18:26:25+09:00</dc:date>
		</item>
		<item>
			<title>[押尾学被告]裁判員裁判の初公判で一部無罪主張　東京地裁</title>
			<link>http://kotti45.fruitblog.net/?4c8093ee2b005</link>
			<description>
				<![CDATA[
一緒に合成麻薬を服用して容体が急変した女性を放置して死なせたとして、保護責任者遺棄致死など４罪に問われた元俳優、押尾学被告（３２）は３日、東京地裁（山口裕之裁判長）で開かれた裁判員裁判の初公判で「私は女性に合成麻薬を渡していないし、放置もしていないので無罪です」と述べ、起訴内容の一部を否認した。有名人が裁かれる初の裁判員裁判。評議を含め８日間の審理を経て、１７日に判決が言い渡される。

　地裁は３日、裁判員６人、補充裁判員３人を選任。午前９時過ぎに始まった選任手続きでは、候補者が集められた部屋のスクリーンに「押尾学」と被告名が映し出され、地裁職員から事件概要の説明があったという。候補者は「被告と親せきか」「個人的な付き合いがあるか」などと尋ねる質問票に回答した。

　地裁が選定した裁判員候補者は計９０人だったが、７０歳以上で高齢を理由に辞退が認められた人らを除く３４人のうち２７人が手続きに出席した。参加率は７９％だった。裁判員に選ばれなかった３０代の男性会社員は「どんな事件か分からず、押尾被告と知って驚いた。裁判員を経験してみたかったので残念」と話した。

　地裁は一般傍聴席６１席を用意したが、計１５５４人の傍聴希望者が詰めかけ、抽選が行われた。倍率は約２５倍だった。小学校時代から押尾被告のファンという傍聴希望の女性（１９）は「『信念を貫く』と言っているので、法廷でも思ったことを正直に語ってほしい」と話した。【伊藤直孝、和田武士】


				]]>
			</description>
			<dc:subject>未分類</dc:subject>
			<dc:creator>kotti45</dc:creator>
			<dc:date>2010-09-03T15:21:46+09:00</dc:date>
		</item>
		<item>
			<title>最近の出来事</title>
			<link>http://kotti45.fruitblog.net/?4c52759bb1141</link>
			<description>
				<![CDATA[
ずっと一緒に働いてきた支店長が移動することになりました。
いつも私に酷いことばかりいっていた支店長ですが
いなくなると思うと少し寂しいですね。

でも今度こっちに移動してくる支店長はとても若いらしい。
若い人大好きな私にとってはありがたい。
仲良くできたらいいなぁ。


				]]>
			</description>
			<dc:subject>未分類</dc:subject>
			<dc:creator>kotti45</dc:creator>
			<dc:date>2010-07-30T15:51:10+09:00</dc:date>
		</item>
		<item>
			<title>土佐郷士（土佐藩）</title>
			<link>http://kotti45.fruitblog.net/?4c00e64e33a14</link>
			<description>
				<![CDATA[
関ヶ原の戦い以前に四国を支配していた長宗我部家の旧臣一領具足層を懐柔するため郷士に取り立てた。一方、掛川衆や山内侍と呼ばれる上士は、山内一豊が掛川城主だった時からの家臣や土佐入封前に大坂牢人を取り立てたものである。土佐藩における郷士は武士とはいえ、他藩に比べると徹底した差別下にあったため土佐藩上士とは同じ藩士とはいえ潜在的には対立、敵対関係にあったとされる。幕府や藩の権威が衰えた幕末には土佐郷士達の多くが尊皇攘夷運動に身を投じた。
著名な人物には土佐郷士をまとめ土佐勤王党を結成した武市瑞山（半平太）や、海援隊の結成や薩長連合の斡旋、大政奉還の実現に尽力した坂本龍馬、初代衆議院議長の中島信行がいる。
また藩には土佐郷士の懐柔政策の一つとして、特別な家系や功績によっては上士扱いの白札とする制度があった。武市半平太は白札であった。


				]]>
			</description>
			<dc:subject>未分類</dc:subject>
			<dc:creator>kotti45</dc:creator>
			<dc:date>2010-05-29T19:03:16+09:00</dc:date>
		</item>
		<item>
			<title>なんか不思議…火の消えたロウソクを再点火するテクニック</title>
			<link>http://kotti45.fruitblog.net/?4bd53d31949f4</link>
			<description>
				<![CDATA[
ロウソクの火が消えてしまったら、どうしますか？

もちろん必要とあらば、また点けることになるわけですが、直接火を灯さなくても再点火出来ると言うテクニックが紹介されていました。

必要なものはロウソクとライターだけです。


				]]>
			</description>
			<dc:subject>未分類</dc:subject>
			<dc:creator>kotti45</dc:creator>
			<dc:date>2010-04-26T16:16:20+09:00</dc:date>
		</item>
		<item>
			<title>ドグラ・マグラ</title>
			<link>http://kotti45.fruitblog.net/?4bb98f221db4f</link>
			<description>
				<![CDATA[
『ドグラ・マグラ』は、探偵小説家夢野久作の代表作とされる小説である。
構想・執筆に10年以上の歳月をかけて、1935年に刊行された。
小栗虫太郎『黒死館殺人事件』、中井英夫『虚無への供物』と並んで、日本探偵小説三大奇書に数えられている。
その常軌を逸した作風から一代の奇書と評価されており、本書を読破した者は、必ず一度は精神に異常を来たす、と称されている[1]。
「ドグラ・マグラ」の原義は、作中では切支丹バテレンの呪術を指す九州地方の方言とされたり、「戸惑う、面食らう」や「堂廻り、目眩み」がなまったものとも説明されているが、詳しくは明らかになってはいない。


				]]>
			</description>
			<dc:subject>未分類</dc:subject>
			<dc:creator>kotti45</dc:creator>
			<dc:date>2010-04-05T16:20:29+09:00</dc:date>
		</item>
		<item>
			<title>デニソワ人：４万年前「未知の人類」</title>
			<link>http://kotti45.fruitblog.net/?4bb0177f16f92</link>
			<description>
				<![CDATA[
　約４万年前にロシア南部で未知の人類が暮らしていた可能性の高いことが、独マックスプランク研究所などの分析で分かった。発見された地名からデニソワ人と命名された。約１０４万年前に現生人類やネアンデルタール人と共通の祖先から枝分かれし、独自に進化したらしい。２５日付の英科学誌ネイチャー電子版に発表した。

　研究チームは、ロシア南部のアルタイ山脈にあるデニソワ洞穴で見つかった指の骨片を分析した。細胞内の小器官「ミトコンドリア」からＤＮＡを取り出し、塩基配列を特定、現生人類やネアンデルタール人、チンパンジーなどと比較した。その結果、骨片は約１０４万年前に現生人類やネアンデルタール人と共通の祖先から枝分かれした新しい人類のものと結論づけた。骨片が出土した地層の年代が４万８０００〜３万年前だったことから、４万年前まで存在していたことも判明した。

　人類の起源はアフリカと考えられている。約１９０万年前、猿人から進化した原人がアジアへ移動。原人は、約４７万年前にネアンデルタール人の祖先と現生人類の祖先にそれぞれ進化したとされている。チームは「未知の人類はユーラシア大陸で、他の人類の祖先と近接して共存していたようだ」としている。【元村有希子】


デニワソ人・・
すごい発見ですね。
こういうニュースを見るとすごくドキドキします。


				]]>
			</description>
			<dc:subject>未分類</dc:subject>
			<dc:creator>kotti45</dc:creator>
			<dc:date>2010-03-29T12:01:34+09:00</dc:date>
		</item>
		<item>
			<title>亀井静香</title>
			<link>http://kotti45.fruitblog.net/?4bac7a97c59cd</link>
			<description>
				<![CDATA[
亀井 靜香（かめい しずか、1936年11月1日 - ）は、日本の男性警察官僚、政治家。階級は警視正（警察庁退官時）。衆議院議員（通算11期）、内閣府特命担当大臣（金融担当）・郵政改革担当、国民新党代表（第2代）、死刑廃止を推進する議員連盟会長（第4代）。報道などでは新字体を用い亀井 静香とも表記される。また、政治活動においてカメイ 静香を用いることもある。
運輸大臣（第69代）、建設大臣（第64代）、自由民主党政務調査会長（第43代）、志帥会会長（第3代）、国民新党代表代行などを歴任した。

警察庁入庁後、警察官僚となり警察庁長官官房調査官を最後に退官した。警察官時代の階級は警視正である。退官後、衆議院議員となり、村山内閣のもとで第69代運輸大臣を務めた。また、第2次橋本内閣のもとで第64代建設大臣を務めるなど、要職を歴任した。
自由民主党党内でも政調会長などを務めた。党内では清和会に所属していたが、平沼赳夫や中川昭一ら同志を率いて離脱し、亀井グループを旗揚げした。亀井グループと政策科学研究所（旧渡辺派）とを対等合併させ、新たに志帥会（村上・亀井派）を結成し、のちに第3代会長を務めた。
派閥の領袖にまでなったものの、郵政民営化を巡る路線の対立から自由民主党を離れ、綿貫民輔らと国民新党を結成する。鳩山由紀夫内閣では、内閣府特命担当大臣（金融担当）に任命された。また、同内閣では特命事項として郵政改革担当も兼ねている。

<b>生い立ち</b> 
広島県庄原市川北町（旧・比婆郡山内北村）で農業を営んでいた亀井素一・静恵夫妻の次男として生まれる。父は終戦まで山内北村の助役を務め、終戦後は県の嘱託として開墾事業に携わった。
広島市の修道中学校に入学。修道高等学校2年生時に、通学定期券の購入に必要な通学証明の発行を学校が有料化したことに対して批判ビラを配る。これが学校側の不興を買い学校を放逐される（自主退学）。

<b>上京</b> 
自主退学後は東京大学法学部に進学していた実兄郁夫を頼りに上京し、東京都立日比谷高等学校・東京都立九段高等学校の編入試験を受けるが入学を許可されず、東京都立大泉高等学校に編入。好きになった女子に広島弁を笑われ振られて奮起、見返すため猛勉強し同校卒業後1956年、東京大学教養学部文科II類に入学[4]。もし自分がハンサムなモテ男だったら、大学には進学していなかったと思うと話している。
駒場寮に入りキャバレーのボーイ（顔が接客業に不向きと言うことで、裏でおしぼりを作らされていたらしい）、家庭教師などのアルバイトをして学費、生活費を稼ぐ。学生時代は「マルクスの亀井」と呼ばれるほど、マルクス経済学に精通していた。また他校の合気道部の学生を糾合して「日本学生合気道連盟」を結成、その初代委員長を務めた（なお副委員長は大平正芳の長男である）。段位は学生時代に三段を取得した。
またアメリカの水爆実験反対を訴えるストライキが原因で退学となった友人を救うため、ハンストを決行する。その後、1週間あまりでドクターストップとなったが、大学当局はその友人の退学を取り消した。
1960年、東京大学経済学部経済学科を卒業。大学時代はほとんど勉強しなかったため、就職試験にことごとく落ち、かろうじて大阪の別府科学工業（現住友精化）に入社。この頃ガンの宣告を受けるが後に誤診と判明。ちょうど60年安保闘争が起こった年で、テレビで国会周辺を取り巻くデモ隊の姿を見ていたら、警察がデモ隊に好きなようにやられていて「なんでこんなに弱いんだ。よし、オレが警察に入って強くしてやる」とカーッとなって一年で会社を辞める。猛勉強の結果、国家公務員採用上級（甲種・行政）試験に3番の成績で合格、警察官採用上級試験に7番の成績で合格。

<b>警察庁</b> 
1962年、学士入学していた同大学経済学部商業学科を卒業し、警察庁入庁。鹿児島県警察本部捜査第二課長、鳥取県警察本部警務部長、埼玉県警察本部捜査第二課長等を歴任。鹿児島時代には徳田虎雄と親しくなり子息の後に徳田毅の媒酌人務めた。鳥取時代には鳥取県議であった日本社会党の野坂浩賢と親しくなる。
1972年、連合赤軍あさま山荘事件、成田空港事件、テルアビブ空港事件の捜査に初代の警備局極左事件統括責任者として参加。血なまぐさい事件の担当ばかりで家庭を顧みる余裕はなく、女房に逃げられ京浜急行に二度ほど飛び込もうと思ったこともある。15年警察を続けたが、いくら警察で頑張っても所詮、社会の「ゴミ掃除だ」と。社会のゴミを出さないようにするには政治家になるしかないと1977年、警察庁警備局理事官、長官官房調査官を経た後退官。政界を引退した永山忠則の地盤にて350万円の退職手当を元手に立候補準備を始める。

<b>自由民主党</b> 
1979年10月、第35回衆議院議員総選挙に初出馬、初当選。以後連続当選。
1985年12月、運輸政務次官就任。1989年4月、 自民党中堅・若手議員による派閥横断グループ「自由革新連盟」を結成、リーダー格として活動。1989年6月、 自由民主党総裁選挙で石原慎太郎を擁立したため清和研から除名処分（後に復帰）。
1994年6月、 運輸大臣就任。1996年10月、党組織広報本部長として臨んだ第41回衆議院議員総選挙、初めての小選挙区選挙で新進党新人佐藤公治を破る。翌月建設大臣就任（政務次官は中曽根派佐藤静雄）。臓器移植法採決を棄権（臓器移植法には各党党議拘束なし）。
1998年9月、 清和研を離脱し、中山太郎元外務大臣らと「中山・亀井グループ」を結成。同グループ代表に就任。1999年3月、亀井グループと中曽根派が合流し「志帥会」（村上・亀井派）旗揚げ。同派会長代行に就任。1999年10月、自民党政調会長就任。公共事業の見直しを表明し連日深夜に及ぶ議論の末、2兆7000億円削減。
2001年4月、自民党総裁選挙に出馬するが小泉純一郎と政策合意したため直前に辞退。2001年11月、死刑廃止を推進する議員連盟会長に就任。2003年9月、 自民党総裁選挙に再び出馬するも敗北。2003年10月、志帥会（亀井派）会長就任。

<b>国民新党</b> 
2005年8月、自民党に離党届を提出、志帥会会長を辞任。国民新党結党に参画。
2005年9月、衆議院議員総選挙において無所属で出馬した堀江貴文に苦戦を強いられるが、友人である俳優・菅原文太らの応援もあって26,546票差で当選。選挙後、国民新党の代表代行に就任。
2005年10月、自民党から郵政民営化反対の責任と、新党結成を理由に離党届は受理されず、除名処分となる。
2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙には、引き続き広島県第6区から、国民新党公認、民主党の推薦を受けて立候補し、自民公認候補に67,479票の大差をつけて11期目の当選。この選挙では代表の綿貫民輔と幹事長の亀井久興がともに落選する事態となったため、選挙翌日に綿貫から代表の座を引き継いだ。

<b>金融・郵政改革担当大臣</b> 
2009年9月16日、民社国連立によってできた鳩山由紀夫内閣の成立に伴い、内閣府特命担当大臣（金融担当大臣）に就任した[10]。特命担当大臣の担当事務以外に、「郵政事業の抜本的な見直し及び改革を推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」の特命事項を担当する（郵政改革担当）。
現在、鳩山由紀夫内閣の閣僚の中で唯一、外国人参政権について反対の立場を明確にしており[11][12]、国民新党としても反対することを表明している[13]。2010年1月22日の衆議院予算委員会で、自民党の小池百合子から、外国人参政権法案の閣議決定に関して「閣議で、これはサインが必要になるんですが、亀井大臣どうされます？　お答え下さい」と問われ、「（法案が）提出されておりませんので、仮定の問題について答えるわけには参りません…参りませんが、私の所属しております国民新党は付与することについては反対でありますし、私としても反対であります」と再び反対を明言し、小池も「そのご判断、しっかり守っていただきたいと思います。公約を守られる国民新党ですから」と応じた。
また、千葉景子法務大臣や福島瑞穂内閣府特命担当大臣（少子化対策・消費者行政担当）が推進する選択的夫婦別姓の導入についても反対の考えを示している[14]。
2010年2月24日には、次期参院選に向けた国民新党のポスターを発表。そのポスターには、キャッチフレーズの「本格保守」のほか、「外国人参政権反対」「夫婦別姓反対」「郵政改革」の3点を柱の政策として明記した。記者会見で亀井は、永住外国人に地方選挙権を付与する法案と選択的夫婦別姓制度の導入を柱とする民法改正案について、「国民新党が反対している限り、絶対に日の目を見ない。（成立を）熱望している方々にはご愁傷さまです」と述べた。


				]]>
			</description>
			<dc:subject>未分類</dc:subject>
			<dc:creator>kotti45</dc:creator>
			<dc:date>2010-03-26T18:16:00+09:00</dc:date>
		</item>
		<item>
			<title>堀江貴文</title>
			<link>http://kotti45.fruitblog.net/?4bac7991ea82f</link>
			<description>
				<![CDATA[
堀江 貴文（ほりえ たかふみ、1972年10月29日 - ）は、日本の実業家である。SNS株式会社ファウンダー、株式会社ライブドア（現：株式会社LDH）元代表取締役社長CEO。福岡県八女市出身。血液型A型。愛称は、ホリエモン。


<b>生い立ち</b>
1972年、サラリーマンの家庭に生まれる。久留米大学附設中学校・高等学校卒業。東京大学文学部宗教学・宗教史学専修課程中退。

<b>会社設立</b>
東京大学に入学後は、駒場寮の北寮へ入寮し、同部屋となった二人の先輩のうちの一人（後にオン・ザ・エッヂ〔後：ライブドア、現：LDH〕の設立メンバーの一人となる人物）から、塾講師のアルバイトを紹介される。アルバイト先の塾で、共同で会社を設立することとなるメンバー達と知り合った。
在学中の1996年、ウェブページ制作請負会社である有限会社オン・ザ・エッヂを設立。設立資金600万円は当時の交際相手の父親により出資された。1997年に株式会社に改組。同社は、当時のインターネットが普及しはじめた黎明期に、いち早くホームページ制作・管理運営を行う会社として注目され、レコード会社などの一流企業のサイト制作を請負いながら急速に成長していった。2002年、経営破綻した旧ライブドア社から営業権を取得した。

<b>プロ野球球団買収</b>
2004年に経営難でオリックス・ブルーウェーブ（現：オリックス・バファローズ）との合併が決定されたプロ野球球団、大阪近鉄バファローズ買収を申し出たことから一挙に注目を浴びる。買収の申し出を拒否されると、今度は東北に新球団を設立する計画を発表。球団名を「仙台ライブドアフェニックス」とし、監督としてトーマス・オマリーを招聘すると発表した。本業の競合他社でもある楽天（東北楽天ゴールデンイーグルス）と参入を競い合うが経営体力の不足等が指摘され、審査の結果楽天の参入が決定、ライブドアの参入は実現しなかった。この年の流行語大賞の一つに「新規参入」が選ばれ、新規参入できなかったはずの堀江がなぜか授賞式に出席した。
その後も野球以外では、公営競馬の運営業務への参入打診を図るが、結局白紙となった他、経営危機に陥っていたサッカーJ2リーグ・サガン鳥栖の経営参加を計画するもやはり実現に至らなかった。一方で競走馬「ホリエモン」を所有していた。
2004年10月、ベストジーニスト受賞。また2005年3月には第42回ゴールデン・アロー賞話題賞を受賞。後者は、タレント活動もしていたとはいえ実業家の受賞は異例である（非・芸能人の同賞受賞者は、これまでスポーツ選手や作家にはいた）。

<b>ニッポン放送買収</b>
2005年2月、社長を務めるライブドアはニッポン放送の株を35%取得、同社最大株主となる。その後2月21日現在ニッポン放送株を40.1%取得。なお、株取得が報道された直後からフジテレビジョンを出入り禁止になり、平成教育2005予備校から降板させられた。この時にフジテレビと大きな騒動となり報道機関が殺到することになる。その時に彼が言った言葉で有名なのは、主に「想定の範囲内」という言葉がある。
しかし、2005年4月、ライブドアとフジテレビジョンとの間で和解が成立。ライブドアの所有するニッポン放送株式全てをフジテレビジョンが取得することが発表された。フジテレビジョン側がライブドアに支払った金額は1400億円ほどであり、このことで2005年のフジテレビの株主総会で株主らが日枝久会長ら経営陣や堀江貴文に対し批判を行った。またこの和解によってフジテレビ出入り禁止は解除された。
2005年6月には自民党での講演でフジテレビ日枝久会長と共に呼ばれたが、お互いの溝の深さが露呈する講演となってしまった。
2005年7月23日放送のFNS25時間テレビよりフジテレビの番組出演が解禁され、細木数子との対談を行った。この時六本木にあるライブドア本社からお台場フジテレビのスタジオまでマラソン姿で走り、久しぶりに「想定の範囲内」という言葉が使われた。


				]]>
			</description>
			<dc:subject>未分類</dc:subject>
			<dc:creator>kotti45</dc:creator>
			<dc:date>2010-03-26T18:12:58+09:00</dc:date>
		</item>
		<item>
			<title>斉藤和巳</title>
			<link>http://kotti45.fruitblog.net/?4ba318f7904a4</link>
			<description>
				<![CDATA[
斉藤 和巳（さいとう かずみ、1977年11月30日 - ）は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手（投手）。1996年から1999年までの登録名は「カズミ」。2006年から4年間ソフトバンク選手会長を務めた。

MAX152km/h の角度のある直球と緩やかなカーブ、スライダー、2種類のフォークが武器で、決め球の高速フォークはMAX146km/h である。前に大きく踏み込んで投げる。ここ数年は1、2軍ともに出場がほとんどないが、本人のブログをほぼ毎日更新し、頻度も高いため、一部のファンからはプロブロガーと揶揄されている。
気持ちを全面に押し出した投球で、初回からでもアウト一つにグラブを叩き、吼える。2009年シーズン終了時点で通算79勝23敗、勝率 .775 で、「負けないピッチャー」とも言われる先発投手である。
交流戦に強く、2006年終了時点での通算成績は12試合に登板して10勝1敗、防御率1.89。逆にポストシーズン（日本シリーズ・プレーオフ）では10試合に登板し未勝利である（0勝6敗）。


				]]>
			</description>
			<dc:subject>未分類</dc:subject>
			<dc:creator>kotti45</dc:creator>
			<dc:date>2010-03-19T15:28:01+09:00</dc:date>
		</item>
	</channel>
</rss>

